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大スターの25年間が凝縮された1時間~安室奈美恵『告白』~

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大スターの25年間が凝縮された1時間~安室奈美恵『告白』~


国民的スター“安室奈美恵”が、2018年9月16日の引退を発表し、日本中に衝撃が走った。
我々にとっては突然の引退だが、本人の中にはすでに何年も前から考えていたことだと言う。その胸の内を『告白』と題して、安室奈美恵が自らNHKの番組の中で語った。

安室奈美恵はデビューは1992年。一斉を風靡した“小室ファミリー”のもと、作詞作曲を小室哲也のプロデュースで、シングルをリリースするたびにオリコンチャートの1位を連発し、ミリオンヒットを生み出した。
さらに“アムラー”という社会現象も巻き起こした。細い眉毛・細身のパンツスーツ・厚底ブーツなどのファッションやメイク。真似する女子高生や若者が街を埋め尽くしたのである。
"SUPER MONKEY'S"のメインボーカルから、“安室奈美恵with SUPER MONKEY'S”とソロに移行し、小室哲哉プロデュースの『Chase the Chance』では、オリコンチャート1位を獲得し、紅白歌合戦に初出場を果たした。その日、当時18歳で日本レコード大賞に初めてノミネートされた。
翌年、『Don't wanna cry』『You're my sunshine』『a walk in the park』 がミリオンセラーとなる。
そしてその年の大晦日、『Don't wanna cry』で史上最年少(当時19歳)の日本レコード大賞を受賞した。

彼女の勢いはおさまることがなかった。
『Can you celebrate?』はダブルミリオンを突破。日本レコード大賞を2年連続で受賞し、紅白出場ではトリを歌うことになった。
そして人気絶頂の20歳で、TRFのダンサーSAMと電撃結婚。妊娠、出産のために1年間の休業に入った。
長かった茶髪のストレートロングをバッサリとカットし、ベリーショートで記者会見に姿を現した。その日の黒のタートルネックにバーバリーチェックのミニスカートを、アムラーは見逃すことはなかった。
復帰は、翌年の紅白だった。
「温かく受け入れてもらえなかったらどうしようと思っていた」と言う。会場からの温かい拍手に迎えられ、感極まり涙を流しながらの歌声は、感動的で印象的だった。

その後、小室プロデュースを離れた。
“自分で自分をプロデュースする”と、新たなスタート地点に立った。手探りでもがきながら、コンサートのスタジオパフォーマンス・衣装・演出に至るまで、自らプロデュースし、さらに自ら作詞をするようになった。
「君のために」と歌う歌詞からは、恋人かパートナーを想像させるが、その“君”とは、安室奈美恵の愛息子だった。
息子のために、毎朝お弁当を作った。「キャラ弁が流行る前だったから、よかったぁ。」と笑顔を見せるその顔には母としての一面を見せ、舞台やパワフルな歌唱力やダンスからは想像させない、日常の安室奈美恵がいた。

「デビューしたら、すぐに有名になれると思っていた」と若き15歳の夢と希望を具体的に持ちながらも、デビューが決まれば、「一生続ける仕事ではないと思った」と冷静な一面もある。
90年代、あんなに売れまくっていたのに、「小室哲哉との仕事は、プレッシャーだった」と言う。
時代を駆け抜けたヒロインの華やかな表のイメージ。そして数々のヒットを生み出した歌手としてのキャリア。ところが、これらが1人の少女の前を一人歩きし、戸惑いや不安をもたらしていたとは、誰も想像することさえできないだろう。

母になり、40歳を迎えたアムロ。
たくさんの経験・苦難・努力を経て、揺るぎない確かな自信と大業を成し終えた達成感に満ち溢れ、穏やかで美しい女性になっていた。

-なぜ引退を決意したのか?-
番組内では具体的な理由を明らかにしなかった。それでも15歳から駆け抜けた25年間の歌手人生を映像とともに振り返り、アムロが各シーンについて自ら語る姿は、歴史に残る貴重な番組といえよう。
SNSで発言をすることはないし、テレビ出演もほとんどない。
「ダンスと歌だけで自分を見て欲しい」という潔く、限りなくプロとしての高い意識を保ち続けることの難しさを、アムロの素朴でシンプルな姿から学ぶことができる。
「新たな人生を楽しみたい」と語る彼女の笑顔に、「ありがとう!」そして「お疲れさま」と伝えたい。

コラムニスト:はたじゅんこ

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